松山バレエ団

松山バレエ団の歩み

創世紀~古典バレエと現代バレエの創造

創世紀~古典バレエと現代バレエの創造

松山バレエ団と松山バレエ学校は1948年(昭和23年)1月、現名誉団長清水正夫、現名誉芸術監督松山樹子が創立、 1989年(平成元年)に財団法人松山バレエ団となり、現在多くの団員が活躍している。 松山バレエ学校本部(東京南青山)および各支部の生徒は団員・教師陣の指導を受け、大きく成長を遂げている。
松山バレエ団は発足当初より“古典バレエの創造的上演”と“現代バレエの新たな創造”を車の両輪として活動を続け、数多くの作品を生み、 日本国内はもとより海外に向けても積極的に公演を行い、国際間の文化交流を深めている。
バレエの創作では1953年(昭和28年)『白狐の湯』で評価を高め、1955年(昭和30年)2月には東京において松山樹子の振付・主演『白毛女』の初演に成功し、 1958年(昭和33年)には『白毛女』他を持って第1回訪中公演を行い、以後2003年(平成15年)までに多くの作品を持ち、13回の中国公演を成功させた。
1957年(昭和32年)には『バフチサライの泉』、1960年(昭和35年)に、『白鳥の湖』、1963年(昭和38年)『祇園祭』などの作品を生み出し、 日本各地で公演活動を行いバレエの普及振興に努めた。その間に松山樹子は1980年(昭和55年)に舞踊芸術賞、1985年(昭和60年)に紫綬褒章、 1994年(平成6年)に勲四等宝冠章など、多くの賞を受けている。

創世紀~古典バレエと現代バレエの創造

森下洋子・清水哲太郎は1974年(昭和49年)にブルガリアのヴァルナ国際バレエコンクールで金賞・銅賞をそれぞれ受賞し、 1983年(昭和58年)に来団したルドルフ・ヌレエフ氏を始めとする世界のトップ舞踊手と共演し、森下洋子は世界のプリマバレリーナとして活躍。 その後、バレエ界の代表的存在として、日本芸術院賞、英国のローレンス・オリビエ賞ほか多くの賞を受けている。 また、1997年(平成9年)に文化功労者に選ばれる。
清水哲太郎は、松山バレエ団総代表として、バレエ団が上演する作品の演出・振付を手がけ『白鳥の湖』『コッペリア』『ロミオとジュリエット』 『くるみ割り人形』『シンデレラ』などの古典作品に新しい息吹を与えて蘇えらせ、芸術選奨文部大臣賞他多くの賞を受け、 1985年(昭和60年)にギリシャ・イギリス公演に成功するなど、その豊かな芸術性は国内・海外を問わず高い評価を受け、 松山バレエ団としても芸術選奨文部大臣賞ほか、数多くの賞に輝いている。最近では平成17年春の叙勲で紫綬褒章を受章した。
また、1988年(昭和63年)、イギリス、エディンバラ・インターナショナル・フェスティバルに参加し、 清水哲太郎振付の『ジゼル』と共に清水哲太郎の新作『マンダラ』を上演して絶賛された。 また、1991年(平成3年)1月から2月にかけ日本のバレエ団として初めてアメリカで公演を行い、ニューヨーク、シティー・センター、ワシントン、 ケネディセンター・オペラハウスで『マンダラ』『ジゼル』の全幕公演を行い、ともに大成功をおさめた。1992年(平成4年)日中国交正常化20周年記念で、 北京・上海にて『くるみ割り人形』『シンデレラ』全幕公演を行い更なる日中文化交流を深め、大成功をおさめた。

設立半世紀を越えて

設立半世紀を越えて

1993年(平成5年)の創立45周年には、記念公演『グラン・ガラ』を行った。1994年(平成6年)、 清水哲太郎演出・振付で初演した新演出『白鳥の湖』は大好評を博した。
1997年(平成9年)には、松山バレエ団創立50周年にあたり、『バレエ・バレエ・バレエ』(清水哲太郎構成・演出・振付=初演・平成9年3月17日)をはじめとして、 新『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『シンデレラ』『眠れる森の美女』など、年間50回に及ぶ意欲的な公演を行った。
2003年(平成15年)、松山バレエ団創立55周年・日中平和友好条約締結25周年記念・新『白鳥の湖』北京・上海での公演は、第12回中国公演となり、 友好をさらに深めたところである。
この他、舞台芸術を学ぼうとする若い人材を育てるべく、海外から講師や研修生を招いてバレエの国際交流に大きな役割を果たしている。 また、2006年(平成18年)、森下洋子は舞踊歴55年を迎え、2008年(平成20年)には松山バレエ団が創立60周年を迎える。


 
 
 

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